読売新聞 夕刊のページに登載
幸せを呼ぶパンの香り 京都市 戸口三枝子さん
パンが焼けるにおいって何かしあわせ感がありませんか。
京都・下京の街中に、5つ違いの弟(温善さん)と小さなパン屋を開きました。
まだ5ヶ月。店もできたてです。
JR京都駅の近く、といっても表通りを入った小路で、立地は良いとはいえません。
それでも開店したのは、生まれ育った家の近くなのに、パン専門の店がないのが大きな理由です。
自家製の天然酵母による手作りを売り物に、抹茶の生地にクルミと小豆を
入れた「カリフォルニア宇治」、有機材料のあんこを豆乳で練った生地で包んだ「京風あんドーナツ」・・・・。
「手間を惜しまず、いつも自由な発想で」が二人の信条です。
高校を出て、パンメーカーに入りました。
人通りの多い四条河原町の店長や、
ミニクロワッサンがブームになった時には、京都チームのリーダーにも。
アルバイトなどを含めた約三十人のまとめ役。北海道などでの販売指導。
責任の重さの一方で、やりがいを感じていました。
ただ毎日、同じことの繰り返し。「生活のための仕事が、仕事のための生活になっている」ふと疑問がわきました。
中国の奥地タクラマカン砂漠500キロ縦断計画を知ったのは、そんな時でした。
ユーラシア大陸の真ん中。空は広いだろうな、青いだろうな。以前にアラブの砂漠で
仰ぎ見て、「いつかもう一度」と願っていた感激が誘惑してくるのです。
「自分の可能性を呼びさましたい」。上司や知人の引き留めを振り切りました。
9年間の会社生活を終えたのは、出国2日前でした。
京都の市民団体「大地を歩く会」の企画で28日間かけて、道なき道をただ歩く。
水、食料はラクダ25頭に託し、サポートはなし。
最高気温40度、最低は氷点下15度。参加者の16人の一行が、最終目的地の米蘭(ミーラン)
まであと80キロという時、水が尽きたのです。砂を掘り返しては、かすかにわき出る水で
渇きをいやしながら先を急ぐ。この2日間は命がけ。自然の厳しさと恵みを知りました。
同時に自信もわきました。
その後も、アルバイトをしながら、辺境を訪ねていましたが、昨春、パン職人をしていた
弟が独立するために物件を見つけました。生き物を育てるような繊細さが求められるパンづくり。
秘境でもその同じ営みを目にしてきて、弟の準備ぶりに私も大好きなパンへの思いが抑えきれませんでした。
店名の「RAUK(ルーク)」はお気に入りの映画のヒロインの名です。
世界コンテストで最高位を得た弟がパンを作り、私はもっぱら接客係。
町屋を模した店には、1日平均120人程のお客が遠くから車で来たり、
夕食用の煮炊き物などを手に訪れたりしていただいてます。
ここから、いつか中国やアジアの国々にもパンを届けたい。あの香ばしいにおいには国境はありません。